2024/10/04 22:23
昔読んだ、
アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」
主人公は年老いた男の漁師。
彼は85日間連続で魚が取れなかった。
86日目も小船で独り、海に出るのだけど、
その日も大物はまったく取れず、
小船に置いてある食料もわずかになる。
諦め半分で針につけた餌を海に投げ込むと、
とうとうそれに大物のサケがかかった。
でも大物だけに簡単には釣ることができなくて、それから老人は三日間、この大物と海の真ん中で孤独な戦いをする事となる。
嵐に会い、夜の孤独と恐怖に耐え、大物を狙う魚達やサメとしい戦いをして、ついに彼は勝利する。
ロープに引っ掛けた大物を小船で引き、
彼は港へ帰ってきた。
地上にあがり、そのロープを引っ張ると、
そこには大きな骨しかなかった。
結局、彼が必死になって勝ち得たものは、
サメや魚達に食べられていて、
あとには骨しか残らなかった。
というストーリー。
ヘミングウェイはこの話の中にある種の人生を重ねていたのではないかな、と思うのですが、
なんかどうもしっくりこなくって、、
「老人と海」を愛している友人に聞いてみました。
その答えは簡潔で、
とても納得できる答えでした。
「多分、人生というか人の生き方というのは、ただの結果だけで決まるほど安易ではないと言いたかったのではないでしょうか。
たとえば老人がしっかりと肉のついた大物を持ち帰ったとしても、たとえば骨だけしかない残骸を持ち帰ったとしても、それは老人にとってはどうだっていいことだったかもしれません。
彼にとって大切なのは、陸に持ち帰った結果ではなく、海というひどい環境の中、自分よりも強い生き物や圧倒的な自然と戦ったという過程が、何よりも大切なことだったかもしれません。結果というのは多くの人が見ることができます。
でもそれまでの過程というのは多くの人の目に触れることなく、それ自体はある意味では孤独なことかもしれません。
でも人の生き方で重要なのは一多分一結果がどうであったかではなく、いかに生きるかではないでしょうか。
月並みな言い方ですけど、海はこの世界であり、小船は老人の大切な相手なんだと思います。もちろん、結果が幸福であればもっともいいですね・・・」
この文章、
歳を重ねるごとに
ジワジワくるな
